台湾にも株式会社があり、もちろん上場している株式を売買する株式市場があります。日本でも馴染みの深いASUS、TSMC、鴻海、大同なども台湾株式市場に上場しているので株券を購入することができます。
台北松山空港から日本に帰る前、出発までに空いた1時間程度で行ける場所に台灣股票博物館(台湾株券博物館)という台湾の株式に関する博物館がありました。
充実した内容がコンパクトにまとまっていてしかも見学無料なので行って見ましょう!
台灣股票博物館とは
株式会社は自社に出資してくれる人に対して、出資金に相応する株式を発行し株券として渡します。株券と呼ぶくらいなので紙に印刷され、株主は手元に置いておくこともできました。しかし、紛失や盗難、偽造の危険があるため多くの株券は証券会社や”台灣集中保管結算所”という場所で集中して保管していました。日本では同じような仕組みとして証券保管振替機構(ほふり)があります。
なぜ株券の発行や保管方法を過去形で書いたのかといえば、株券は紙で出来ているため株主が増えると保管や売り買いに伴う名義の書き換えが大変になります。そこで紙の株券を廃止し電子化するのが世界的な流れとなりました。日本では2009年1月から株券の電子化が実施され、ここ台湾では2011年7月から全面的に株券の電子化が行われました。株券を集中して保管していた台灣集中保管結算所は台湾内に3つの金庫を持っていて、数千万枚におよぶ株券を保管していました。株券が電子化されたことにより不要となった金庫のうち、一番小さな場所が改装され台灣股票博物館として公開されています。
中国語での株式用語ミニコーナー
せっかくなので株式に関する中国語を調べました。これを覚えておくと見学にも役に立つこと間違いありません。
- 股票 Gǔpiào = 株券
- 股東 Gǔdōng = 株主
- 股市 Gǔshì = 株式市場
- 股市大盤 Gǔshì dàpán = 株式市場のことだが、株価指数の値動きを表す
- 委買價/委賣價 Wěi mǎi jià/wěi mài jià = 売り買いの指値
- 成交量 Chéngjiāo liàng = 出来高
- 股票股利 Gǔpiào gǔlì = 株式配当
- 籌碼 Chóumǎ = 賭け事ではチップ。株用語では大手売買動向
台灣股票博物館へ行くには
台灣股票博物館はMRT文湖線の中山國中駅近くにあります。台北市中心部から台北松山空港に向かうMRTの一駅手前なのでわかりやすく、たどりつきやすい場所にありました。
駅前に建つ弘雅大樓の中に台灣股票博物館は入っています。商業ビルで入り口がわかりづらいのですが、真ん中の大きな玄関ホールからエレベーターで三階に行けばたどりつきます。最初、間違えて中國信託銀行に入ってしまい聞いてみたら入り口が違うと教えてくれました。
エレベーターを3階で降りると台灣集中保管結算所の受付と打ち合わせコーナーがあり、その奥が台灣股票博物館となっています。
博物館の扉を入ると、「カンコーン」という株式取引開始と終了時に鳴らすオープニングベルとクロージングベルのような鐘の音が鳴り響きます。すると係員の人がすかさず現れて案内を初めてくれました。
案内は中国語のみのようなので、よくわからない場合はなるべくゆっくり簡単に話してもらうか、見るだけ見るだけと言って見させてもらうと良いでしょう。英語でも説明してくれるかは聞いていませんが、多分大丈夫な気がします。
台灣股票博物館の展示内容
まずは大航海時代にオランダで始まった株式の簡単な紹介から、台湾での株式の歴史を知ることができます。
台湾で発行された最初の株券は1887年、清朝時代に台北から新竹に至る鉄道を建設するために発行されたもので、当時の株券は全て手書き。綺麗な毛筆で発行条件や金額などが記されています。まだ手書きでもなんとかなるレベルの発行枚数だったのでしょうか?
分厚い金庫扉をくぐってメインの展示エリアへ
先ほど、以前の株券は金庫の中で保管されていたと書きました。メインの展示エリアは実際に使用されていた金庫の中に作られていて、当時使用されていた金庫の扉がそのまま残されています。当時、金庫室へ入室するには厳重なセキュリティを通って入る必要がありました。今はセキュリティを模した展示があるだけで、普通に出入りすることができます。
台湾株式市場初めての上場会社は?
台湾の株式市場は民國51年(1962年)に開設され、その株式上場第1号企業は1954年に民営化されていた台灣水泥公司(台湾セメント)でした。台灣水泥公司はまだ続いている企業で証券コード”1101″として台湾の証券市場で取引されています。民営化時に2億7千万台湾ドルだった資本額は現在では369億台湾ドルにまで大きくなっていて、2019年現在の配当利回り7%あまりという典型的な高利回りインフラ企業。当時株式を購入していれば台湾の経済発展と資本市場の恩恵を十分に受けられたことでしょう(当然淘汰された企業もたくさんあります)。
ちなみに、日本で株式市場が開設されたのは1878(明治11)年5月で、最初の上場銘柄は第一国立銀行、東京株式取引所、兜町米商会所、蛎殻町米商会所でした。今も残っているのは第一国立銀行が紆余曲折を経てみずほ銀行、東京株式取引所は廃止後に東京証券取引所になっています。どれも新しい一万円札の顔となる渋沢栄一に関係がある会社です。
台湾株券の形式
株券が紙だった時代にはこのような形式で株券が印刷されていました。株式市場で売買される株券の形式には規格があり、お札と同じように偽造防止のために使われている印刷技術や、金額によって色や模様が変化するのが面白いですね。サイズは10吋 * 5 7/8吋 (10インチ * 5.7/8インチ) = 25.4cm * 14.9cmというかなり大判だったので保管も大変だったと思います。当時は裏面に株式の譲渡記録を残していたので、ある程度のサイズが必要だったとは言え、まさかここまで経済成長するとまでは予想されていなかったのかもしれません。
台湾の発展を懐かしの製品と共に振り返る
台湾の経済発展に伴い上場する企業も農産品中心から工業製品、電子機器、IT系へと変化を遂げていったことがわかる展示もあります。
輸入製品を国内製品に切り替えるだけでは経済発展に限界があったため、工業製品の輸出政策をとるようにしました。この過程で台湾好きにはおなじみの大同の電鍋など数々の製品が作られ輸出されていきます。
そのほかにも株券の保管方法や名義書き換えの手続き、台湾の株式に関するミニ知識など多数の展示物で台湾の株式について理解することができました。
最後にお土産も
見学の最後に見学証明書を渡してくれました。証券保管金庫に入る前のセキュリティチェックがカメラになっていて、自分の顔が印刷された株券が見学証明書になっています。何も案内無しだったので結構間抜け面で写ってしまっています。そういうことなら初めに言ってくれればもう少しなんとかできたような。
台灣集中保管結算所の展示も
台灣股票博物館の展示を見終わった後は、台灣集中保管結算所の受付と打ち合わせコーナーに有る台灣集中保管結算所の歴史についての展示コーナーも覗いて見ました。
1989年から株券の集中保管および電子化への準備を開始して、株券電子化を達成した以降も安全で迅速な取引と新たな取引形態への対応などますます複雑になる証券および株式市場を支える機関となっていくようです。
お店情報:
店名:台灣股票博物館
住所:台北市復興北路365號3樓
MRT文湖線の中山國中駅前、弘雅大樓3F
電話:02 2514-1300 または 02 2514-1301
営業時間:9:00 ~ 17:00 月曜から金曜まで(土日祝日休館)
日本語対応:不可
団体での見学希望の場合は事前にHPまたは電話にて見学予約。
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